2021年に発行した『のへの ISSUE 2』の一戸町のページでもご紹介した、一戸町奥中山のひまわり畑、今年は10月1日に行ったら満開でした。
去年は見れなかった晴天のなかでの午前中の順光、素晴らしかったです。



2021年に発行した『のへの ISSUE 2』の一戸町のページでもご紹介した、一戸町奥中山のひまわり畑、今年は10月1日に行ったら満開でした。
去年は見れなかった晴天のなかでの午前中の順光、素晴らしかったです。
山車は八戸型の風流山車。
小型ですが凝縮感があります。
横に開く回転がある組もありましたが、引き出しはなく、主役の競り上がりも数組。
おもしろかったのは、主役の後ろから起き上がるパタンコが横は短く縦に長いこと。
道路標識をよけつつ、電線で上げたり倒したりしやすくしつつ、高さを出すためでしょうか。
さらにおもしろかったのは、山車の場面の下にスペースのある二階建てなこと。
これは南部町と野辺地町の山車がそうですね。
違う点は、南部町と野辺地のよりは一階部分の高さはありません。
ということはと小太鼓を見たら、野辺地に近い巫女の衣装のようなものを着ている組もあり、叩き方も野辺地と似てるような気もしました。
でも、野辺地は山車の前と山車のところと2種類のお囃子をやっていますが、三戸は1種類なので、それは違いますね。
ともあれ、野辺地との共通点と山車の二階建てが興味深かったです。
これで、戸(のへ)の山車まつりで見たことがないのは、たぶん下記です。
まだマニアックなのが結構残ってますね。
最後に、「さんのへ秋まつり」だったり「五戸まつり」だったりと、地名がひらがなと漢字のところがあって、また「秋」が入るところと入らないところがあって、あーややこしい。(まつりは大概「まつり」で、「祭」は少ないです)
おいらせ町は百石町と下田町が合併した奥入瀬川の河口のある町で、例年であれば9月下旬においらせ百石まつりを行って、その翌週においらせ下田まつりを、さらにその翌週にそれぞれの山車を町内にあるイオンモール下田の駐車場に集めて祭りを行っています。今年はイオンモールのだけやった感じでしょうか。
(「おいらせ百石まつり」、「おいらせ下田まつり」なのに、今年は「おいらせ秋祭り」と「まつり」が「祭り」の表記になったのはなぜ?)
山車は4台が参加。
4台中3台が下田の(下田のは生き人形だからわかりやすい)、うち2台は3年前の山車のままでした(下田のは3年前に見ていて、それぞれの3年前の行列の時の写真もスライドに並べておきます)。
百石からの山車は、七福神などがモノクロプリントされたパネルで表現されていて、将来人形の代用にするとき、こうなっていくのだろうかと思ってしまいました。
お囃子は、三沢に近いのでしょうか。
でも、大太鼓のパフォーマンス的な要素が無いから、それは八戸に近い。
お囃子は八戸のがベースになっているので、逆に違うところが私は違和感を感じてしまいます。
お囃子で参加している子どもの親や祖父母、友人や家族がたくさん見に来られている様で賑わってました。
かつてみうらじゅんさんが「とんまつり=とんでもないおまつり」と名付けていたという、この手のお祭りは初めて見ました。
まず、小中学生くらいの子どもたちがたくさんいるのに驚きました。
そして、子どもたちの山車のお囃子がとにかく元気でした。
この地域に生まれ、小さい時からこういうのにふれて育ったらどうなるのだろうと想像しましたが、想像の域を超えて頭から湯気が出そうでした。
ただ、二戸の地域性に少なからず影響を与えていそうです。
そして、子どもがたくさん参加していて元気な地域なのかもしれない、とも思いました。
枋ノ木神社に参拝すると、お祭りでのみ境内で販売しているてぬぐいを熱心に説明していただきました。
大黒様と弁財天様かな、が描かれていて、やけに髪の毛が太い線だと思ったら、顔を隠すようにてぬぐいを折って、「大黒様の顔を隠すと・・・弁財天様の顔を隠すと・・・両方の顔を隠すと・・・これを考えた人は天才だと思う。はい○○円」と。
お守りや神社の境内の一つ一つにも形にこだわってましたが、出店のチョコバナナやこんにゃくのほか、そばに入れたなるとの形にもこだわっていました。
チョコバナナとこんにゃくのお店は1店舗で、若いお姉様方だけで作っていて、どういう方々なのかがすごく気になりました。
とにかく、衝撃的でした。
2台山車はあるのですが、今年は急遽1台だけの参加になったのだそうです。
お祭りは、コンパクトだけどなんか良いですね。
いろんな街のを見ていて、なんとなーく岩手県側で見ているとアウェイ感を感じないんですよね。
なんでしょうね、その背景にあるの。
小鳥谷も観光で見る人は少なそうでしたが、楽しく見させていただきました。
しかし、一戸町は盛岡型の山車、しかも木製の台車なのに、お隣二戸は混在。
近いのにこうも異なる。面白いですね。
山車は6台出ていて、うち4台が八戸型、2台は盛岡型。
思ったのは、二戸も混在してるんですが、違いは、軽米の八戸型の山車4台は全て、八戸の山車組が製作協力していた点でしょうか。(吹上、下組町、朔日町、十六日町)
二戸では、八戸型の山車で八戸の山車組が協力しているのは1台でした。
総じて、二戸と軽米は混在地帯だと思いました。
しかし、行列に神楽や郷土芸能があって、そういうのにも小さい子どもが出てると良いですね。
と同時に、山車があるとお祭りが華やかになると、あらためて思いました。
お祭りを見に来ている人も結構いて、賑やかでした。
が、ネットで見ていた情報が昔のやつで(日にちと曜日が合ってたんですよね)、今年は山車が出ない年でした。どうしようと思いながら、人の流れについて歩いていったら、駅近くを流れる川の上に仮説のステージやひな壇型の観客席ができていました。
川の上にステージですよ⁉︎
調べたら、例年3日間のお祭り期間中の真ん中の中日は山車は出なくて、郷土芸能や日の本中央「たいまつ祭り」や花火大会をやっているみたい。
今年は山車祭りが中止で、中日のたいまつ祭りの内容中心で開催した模様。
たいまつ祭り・・・
たいまつの灯りに花火・・・
乙供、アツいぜ。
3年前に見た、山車祭りの最終日の最後の盛り上がりもアツかったし。
夜にはたいまつ祭りと花火があったようですが、準備をせず来たので夕方まで見て帰ることにしました。
14時半からヨサコイが行われ、15時から歌謡ショー。
ローカルな往年のベテランスターは、じっちゃもばっちゃも手玉にとって笑いをとる。
15時半からは和太鼓と若者によるプロダンスのまさかのコラボ。
16時からはナニャドヤラ大会と、期せずして良いもの見させていただきました。
街で、今年は参加しなかった組の人と話せました。
十和田も以前は八戸から山車を借りていたけれど、それが出来なくなってから山車を自主製作するようになった。
その際、お囃子をやる子どもたちにお祭りを楽しんでもらいたい。
大人は、その山車を頑張って作る。
どの町も、想いは同じだと思います。
子どもたちのために。
十和田は、それが子どもたちが輝ける舞台としての山車に力点が置かれている。
十和田市の人口は約6万人。
近くの三沢市は約4万人。
人口では十和田の方が多いから、山車も三沢より大きくても良いけれど、実際は大きい組は三沢の方が大きい。
でも、十和田はお囃子を披露するような山車前面だったり太鼓山車へと進化していったんですね。
あと、今年は不参加の組ですが、太鼓山車で秋田の鹿角の花輪ばやしの屋台のような組があって、秋田の文化が混入しているのも特徴と思います。
十和田は、この路線にもっともっと特化して、どんどん突き進んで欲しいと思いました。
二戸まつりの、意外にも統一されていないこのカオスな感じは(初めて見てそう思いました)、なぜこうなったのか気になります。
そして二戸の中心部は福岡で二戸まつり、堀野で堀野まつり、二戸駅付近で枋ノ木神社祭典・金勢祭というお祭りもある。(ほか、金田一では金田一八坂神社例大祭、浄法寺で浄法寺まつりも)
えー、二戸についての情報をお待ちしております。